徒然日記

徒然なるままに書いていきます 固めのものからゆるい日常まで書きたいものを

『FACTFULNESS』ブックレビュー

今話題の本である『FACTFULNESS』を読んだのでそのレビューをしたいと思います。

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 

感想として一言で言うなら評判どおりでしたね。良くも悪くも。

ここではあえてまず批判的に書きたいと思います。

本書の要旨としては、データに基づいてみれば世界はどんどん良くなっているんだよ!正しいデータの見方を手に入れよう!

みたいな感じなんだろうけどその前提からして自分の肌には合わなかった。

 

全体を通してハラリが『ホモ・デウス』で語っていた「データ至上主義」という言葉が想起された。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

 

 

一番明確に違和感を覚えた部分を紹介します。

本書の中で紹介された「世界で減り続けている16の悪いこと」の項目の1つに死刑制度を採用している国の数というものがあった。

それを見て正直に思ったことを言うと「死刑制度は悪いことなの?」だった。

犯罪抑止効果とか遺族の気持ちとか考えたら一概に死刑制度が悪いとは言い切れないじゃあないか。

こう思うのは未だに「悪い」死刑制度が採用されている日本に住んでいるせいかもしれない。

 

他にも本書は世界を1日当たりの所得に応じて4つのグループに分けていた。

レベル1の人は2ドル以下

レベル2の人は2~8ドル

レベル3の人は8~32ドル

レベル4の人は32ドル以上

といった具合に(多分これを読む人はレベル4でしょう)

 

でもそもそもこういう風に分類するのってどうなんだろうか?

思想家の内田樹格差社会は拝金主義であるみたいなことを言っている。 

格差社会って何だろう - 内田樹の研究室

お金があれば幸福なのか。レベル4の人はレベル1の人と何が違うのか。

確かにレベル4の人とレベル1の人は生活様式が大きく違う。

捻れば出る水をわざわざ遠くまで汲みに行かないといけないし、十分な医療が受けられず平均寿命も短い。

でもそれで僕らが「お金がないばかりに可哀そう…」なんて思うのは少し傲慢じゃないかと。お金を全能化し過ぎているんじゃないかと。

  

 まあ我ながら少し穿った見方過ぎだし、もちろん自分も普段はお金が欲しい人間ですよ。お金があれば大体の楽しいことはできるし、嫌なことも回避できるようになることがほとんどだ。

それでも人類を総体として捉えて「世界が良くなっている」というなら本当に所得という観点から見るのが相応しいのか、というかどう「データ」を集めるべきなのかみたいな話が聞きたかった。

 

際本書ではあくまでも「データ」と「データの見方」しか紹介していない。

「レベル4の人は平均寿命が長くて、レベル1の平均寿命が短い」

こういう感じのを淡々と述べているだけだ。

ただ自分としては結局のところ「データ」は「データ」に過ぎなくて、それを解釈するのは恣意的な部分になってしまうんじゃないか。

本書の副題として「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」とあるけれど、世界を「正しく」見ようとする態度こそが「歪んだ」態度なんじゃないかとすら思ってしまう。

要するに「データ」は分かった。でもそれで本当に世界が良くなっていると言えるかはまた別問題でありちゃんと検討すべきではないか?ということ

自分の意見は無理やり噛みついているに過ぎないというのは分かっているけれど。

多分根底にある思想が合わなかったのだろう。

 

とはいえ☆5のところが☆4ぐらいのところ。

普通に良書だと思ったけれど、どうしても突っかかる場所があったからそこを抽出しただけです。 

紹介されている10の本能は自身の心を制御するうえで有用だと感じたし、純粋に知らなかった世界を知れた。

内容も平易で具体例が豊富なので分厚いけれどサクッと読み切れる程度の内容です。

世界はどうなってしまうんだぁー!とか不安に駆られている方、世界の今をサクッと知りたい方にお勧めです。

はてなブログ初投稿から1年の所感

 

タイトルの通り以下の初投稿から一年経ちました
cobaltic.hatenablog.com

 

自分で言うのもなんだけど割と飽きやすい性質なので一年経ってもちゃんと続いてるとは思わなかった…

今後の参考のためにも9割ぐらい自分向けにまとめておく

 

概要はこんな感じ!

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思ったよりも投稿していてびっくり

当たり前だけど最初は読者もスターも0だったのでこうして改めてみると中々感慨深い

初月なんか一月で30アクセスなかった気がするし、更新しなくても10は越えるようになったのは大分成長だと思う

投稿を重ねるごとにアクセス数もじわじわと伸びていって

継続は力なり

ってやつですね

 

にしても39記事も投稿したっけ?と思ったけどほとんどは旅行記事でした…

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旅行の時は毎日更新だったし、まとめとかも含めたら25記事もあるようで

 

直近のアクセス解析はこんな感じ!(これ記事ごとのアクセス数とか見れないのかな?)

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現代貨幣理論の記事が圧倒的

 

cobaltic.hatenablog.com

 

Twitterで分かりやすい記事と紹介されてプチバスりして本当に嬉しかった

この記事を書いた当初は大分気合入れて書いたのに周囲の友人から全く反響がなく、旅行記事ばっかり言及されるので「やっぱ大衆は分かりやすい娯楽記事を求めていて、こんな学問記事は理解されないんじゃあ~」なんて不貞腐れていたので報われた気持ちになりました

紹介してくれた方ありがとう

全体で見れば伸びるべき記事がちゃんと伸びているようでうれしいです

 

所感のまとめ

・書く意義について 

やはりブログを書くとなると自分の中であやふやだった知識(あやふやということにすら気づいていなかった)を整理して体系的に再構築する必要が出るので、独学で深く理解をする上ではかなり大事なプロセスだったと言えるでしょう

貨幣論の記事がバズって思ったのは「本読めば書いてある簡単な基礎知識をまとめただけでも需要は意外とあるんだな」ということ

今後は自分が面白いと思ったものは短くてもいいから紹介していきたいっすね

旅行記事とかも見直すと色々思い出せて楽しいので旅行の合間にせっせと書いただけの価値はあった

 

・ 記法について

文体は未だに迷うしブレる

ですます調だと平易になりすぎる感があるし、砕けた口調にするにしてもどの程度がいいのか…

句読点もつけるのかどうかが、ビミョーな所

これに関しては勢いで書き上げた方が迷う暇も無くて良い気がする

 

・今後の展望

去年の記事は旅行記事とか本で得た知識紹介にとどまって、当初の目標である今の気持ちを記録するというのはイマイチだったので今年はそれも重点的にやっていきたい

モラトリアムの記事を書いていて思ったのだけれど、書くという行為を通して自分の一部を切り離して再構築してまた取り込めるような気がする それも自分が思うような方向性で

更新ペースも少し上げ気味でいけたらいいなぁ

また一年後にはどうなっていることやら 

 

藝大の卒展に行ってきた

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タイトルの通り藝大の卒展行ってきました!

都美術館と藝大美術館と藝大構内で色々展示されていて、写真撮影・SNS投稿OKなのでワラワラと見てこれるような展示で良かったので、とりあえず気に入ったやつを紹介していこうと思います。

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モフみを感じる 作品の横にある自画像も最早作品だ


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ペンギン可愛い 未来の水族館とかそんな感じのテーマだった気がする


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今日一番お気に入りの作品群


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特にこれ 


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説明文から殺意が尋常じゃない

他の作品も絵は綺麗なのに説明文がエグミが溢れてた

大富豪だったら一枚買ってた


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日常の無理矢理飲み込んでいるものをあえて未消化で みたいな感じだった

これは就活のやつ


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めっちゃでかい見開き絵本 どうやって作って運んだんだろう


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暗号を趣味で作ってる人

 

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鶯谷のラブホ街をリゾート街化しよう計画

 


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バイクの持つ格好良さを最大限に高めたっていってた

かっけぇ


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ミイラ 下にある証明書が凄いそれっぽくて本物かと一瞬思ってしまった


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ガリバートンネル的な畳の部屋

マジで感覚がバグる


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ショップで販売してたやつ 安かったら買ってた


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尻文字を100人に書いてもらって研究したらしい


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フォントまで作っちゃって 配布して欲しい


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純粋に凄い彫刻


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これは生ゴミを上手いこと製紙化して作ったやつ 実用段階になれば究極のエコでは?

 

おまけ
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大学内に貼られていたポスター

やっぱ本職のコラ職人はクオリティが違うねぇ

 

行く前は藝大の卒展って絵心皆無の自分がいっても理解できるんじゃろうか…って感じだったけれどいざ行ったらアイデアがどれも感心するようなものばかりで純粋に面白かった(芸術的過ぎて全く理解出来ないのも多少はあったけど)

 

行こうと思ったきっかけとしては多種多様な芸術作品を見た時の心の反応の差異から芸術への構造を見出そうと思った訳だけれど、あまりの作品数の多さに内省しないで純粋に楽しんで終わってしまった 楽しかったから良いけれど

 

大体の作品で近くに製作者が居たりするので詳しく話を聞こうと思えば聞けるし、こういう距離の近さは卒展ならではの良さ

 

多分誰が行っても必ず楽しめるし、これ面白いなぁって思える作品があるはず

ここで紹介しているのは本当に自分的に面白かったやつだし極々一部なので、実際に行くべき

   

明日もやってるらしいので暇な方は是非!!

モラトリアムから救ってくれたのは哲学だった

モラトリアムという言葉に初めて出会ったのはBLEACHの第2巻15話を読んでいるときだった。

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©️久保帯人

 

初めて読んだときは小学生とかだったのでこの高度なボケを理解できていなかったわけですけども

 

ちなみにモラトリアムとは - コトバンクより

モラトリアム
moratorium
E.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語。本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立してゆく。小此木啓吾によれば,現代人には,この猶予期間を引延ばし,大人になろうとしない「モラトリアム人間」 moratorium personalityの傾向が強い。その背景には,社会の変化が加速度的であり,アイデンティティを見つけきれないという現実があるといわれる。

 

 

そんなモラトリアムという概念との邂逅から数年経って大学受験失敗に伴う自信と目標の喪失とか、変容していく自分が理解できなくてモラトリアムの状態に陥りました。

分かりやすい典型的なモラトリアム。自分がどういう人間なのか分からなかったし、どうしてこんな状態に陥っているのかも、どうやったら脱却できるかも分からなくて悶々とした日々を送っていた。

 

そもそも高校生の頃までの自分は典型的な理系人間で、小説よりも理学書のほうを好んで読んでいたし、哲学なんて小難しい言葉をこねくり回しているだけにしか思えなかった。それが大学に入ってから気が付いたら友人から「文学少年」なんて揶揄される程度に小説にのめり込み、哲学の類も意外とちゃんとやってみたら面白くて他の文系学問にも手を出していって興味だけがドンドン広がっていって自己が発散していくような感じだった。

 

昔の自分からどんどん変わっていくのがただ怖くて、どこへ向かえばいいのかも分からなくて、自分を自分たらしめる「何か」を求めて日々足掻いているような感じ。

プラネテスを読んでてユーリのこの言葉にすごい共感を覚えた。

 

ですからただ僕は

…道標が欲しいんです 北極星のような明確で疑いようのない…

自分の位置を知りまっすぐ進んでいることを確認できるようなものを求めているだけなんです

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プラネテス第1巻4話より ©️幸村誠

 

結局のところ

自分は何者なのか?

自分を自分として規定している本質はなんなのか?

に対する答えを探していたわけで色々もがいた結果、一応今はその状態を脱却できたと言える状態に持っていけました。

 

まあというわけで自分がモラトリアムを脱却するきっかけとなった哲学思想を紹介していこうと思います

近代哲学思想の簡単なまとめにもなってるらしいよ 素晴らしいね!

と言ってもあくまで自分がモラトリアムを脱却する上で役立った部分だけを自己解釈に基づいて紹介しているだけなのでご容赦を

 

 

 

実存主義

第二次世界大戦終了後から出てきた思想

戦争で建物と既存の意味がメタメタに破壊されて人々が新しい意味を求めたという背景がある

 

一言でいえば

実存は本質に先立つ

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実存主義の代表的な人物 サルトル

 

人間は生きる意味という本質が与えられるのではなくて、まず生きているという実存がある

生きる意味は自分で獲得しなければならない

 

サルトルのパートナーのボーボワールの言葉も合わせると分かりやすいかも

人は女に生まれるのではない、女になるのだ

 

人間の本質というものが先にあるのではなく、自分のあり方(実存)の方が問われる以上、人間は主体的に行動する事でありたいようにあれる

というのが多分大事なところ

その一方で人は自分のあり方を自分で決めなければならないという事

これを表現したサルトルの言葉を借りると(個人的にサルトルの言葉では一番好き)

人間は自由の刑に処されている

 

 

 

構造主義

1960年代、冷戦とかからまた戦争が起こったらという恐怖、結局「主体」ってなんなんだよみたいな背景があって出てきた思想

 

これもざっくり言うと

物事を関係性によって整理して、関係性の集まりによって構造というものが構築されているという考え方

 

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構造主義の代表的人物 レヴィストロース

 

自分という人間は何か一個の本質があるんじゃなくて、色々な人との関わり合いとかそういう関係性の中に宿っているんだ って事じゃないですかね

 

 

 

 ポスト構造主義

構造を固定したものとして考えるんじゃなくて、もっと流動的なものだと考えようという流れから出てきた思想

 

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ポスト構造主義の代表的な人物 デリダ

 

構造主義という考え方は良いけど、構造を固定化したものと考えちゃいけない

構造というものは絶えずズレる

究極的に言えば実存も構造も存在せず、差異が存在するとして脱構築を唱えた

 

 

 

本当にすごいさっくりとしか紹介できてないけど、どれも面白いので興味でた方はちゃんと学んでみて下さい

特に構造主義は哲学に留まらず他の分野を研究する手法として出てきたりするので興味ある分野+構造主義で検索すると面白いかも

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wikiにもこんな感じで項目がある

 

 

 

 

というわけで学んでいる過程ではこんな整理されていた訳ではないけど、ポスト構造主義という思考法を手に入れて

 

・自分という人間は本質がある訳じゃなくて色んな人間との関係性によって成り立っている構造に過ぎない

・自分という構造はズレていくこともあるけど、色々な体験を通して感じ方の差異から自分を知り続けよう

 

みたいな感じで、自分の本質を探したモラトリアムに対する解決を示してくれたのが哲学思想ということ

要するに自分が分からない自分を受容できるようになったということ

明確にモラトリアムを脱却できた要因は自分が諦めた夢に向かって頑張ってみようって思えたこととだったたけれど、そう考えられる下地を作ってくれたのは間違いなく哲学を通して得られた思考法だった

 

モラトリアムを脱却したとはいえ今後も自分を探り続ける旅というものは終わらないし、哲学と関わり合っていきたい

 

 

とりあえず全人類プラネテスを読んでくれ

 

プラネテス(1) (モーニングコミックス)

プラネテス(1) (モーニングコミックス)

 

映画「ライ麦畑の反逆児」の感想

ライ麦畑の反逆児」は青春文学の金字塔とされる「ライ麦畑でつかまえて」で有名なJ.D.サリンジャーの伝記映画

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

 

ライ麦畑でつかまえて」自体は攻殻機動隊SACのテーマとなった小説と聞いたことがきっかけで読んだ小説。ついでに「ナインストリーズ」も読んだけど正直サリンジャーの言いたいことがよく分からないというのが当時の感想だった。とにかくまどろっこしくて、「バナナフィッシュにうってつけの日」とかは特に意味が分からなくて解説記事みたいなものも読んでみたけれど、どうしてヒットしたのかが本当に理解できない人間だった。

それでもサリンジャーの生き様というか、ライ麦を書いてバカ売れしたのに平穏を求めて隠遁生還を送ろうとしたのに、それが逆に名声を高めてしまったというエピソードだけは大好きだった。とはいえそれ以外サリンジャーの事は大して知らないので今回の映画の広告を見つけて絶対に見に行ってサリンジャーを理解したいと思えるぐらいには気に入っていたのかもしれない。

 

ただ一つ言わせて欲しいのが

上映映画館が少なすぎる!!!

 

それはさておき映画自体は非常に満足できるものでした。サリンジャーの作品を読んだことある人なら楽しめると思う。ちょい出しされる執筆シーンのセリフとかで「あぁ 作中のあの部分だ」みたいな楽しみ方ができる。

サリンジャー自身を知ったことでコンテキストが理解出来て作品の厚みが増す気がする。家に帰ったらとりあえず読み直してみようって思えるような作品だった。

かつては理解できなかった作品もこれを見た今なら前よりは分かるんじゃなかろうか。

 

 

サリンジャーの生涯があれほど壮絶だとは知らなかったし、ただ世界を語るストーリーテラーという透徹した視点から描かれたからこそ、ライ麦はあれほどヒットしてホールデン・コールフィールドは自分だ!って思う若者が続出したんじゃなかろうか。(あのハンチング帽を被った若者が出てくるシーンとかまさしくスタンドアローンコンプレックスでは?)

 

ちょっとやましい話だけど、最後のエンドロール(?)の所で今でも毎年25万部売れてるって出てたけどそれ印税とかどうなってるんだろう…

僕も印税でウハウハ生活とかしてみたい

下世話な話でしたね

 

 

前見た「ボヘミアンラプソディー」にしても「ライ麦畑の反逆児」にしても人の人生ってそれだけで映画になるくらい中々面白い。次見る映画の候補としては「ファースト・マン

非常に楽しみ!

 

映画『ファースト・マン』公式サイト

 

 

アイヌの世界を知ろう

二か月ほど前に行ってきた八王子古本まつりアイヌの霊の世界 という本に出合いました。 

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当時ゴールデンカムイにハマっていたので即購入

amazonで調べたら1000円近くしていたけれど、300円でgetできまして
八王子古本まつりはGWらへんと10月に年2回開催されているので本が好きな方はぜひ行ってみてください。

 

で、話を戻すとこの本結構面白かったので紹介したいと思います。

 この本はアイヌの「信仰」をメインに描いていて、大まかに分けて

1.アイヌの霊の世界

2.アイヌ・霊・古代日本(シンポジウム)

3.   アイヌー日本文化の基層(対談)

の3部構成になっております。どれも口語体で書かれているので非常に読みやすく全体でも200Pないのでお手軽に読めました。

ゴールデンカムイを読んだ人なら楽しめるはず。

というわけで簡単に面白かった部分を紹介

の前にアイヌってそもそもなんやねん?って人のためにWikipediaから概要を引っ張っておきます。

 

アイヌとは

アイヌは、北海道を主な居住圏とする先住民であり、独自の文化を有する民族である。かつては北海道だけでなく北は樺太、東は千島列島全域、南は本州北端にまたがる地域に居住していた。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。母語アイヌ語

 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが、生業から得られる毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。

185527日(安政元年1221日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。

Wikipediaより)

 

アイヌの信仰の骨子

そもそもアイヌ文化を支える信仰とはどういうものなのか

基本的にはアミニズムに近くて万物に対して「霊」の存在を認めていますが、さらにその中で神(アイヌ語でカムイ)という格上の存在があります。

具体的に言うと机や石など人間がどうにか出来ちゃうものには神として認められず、ヒグマや炎など人間が太刀打ちできないものに対して神というものを認めています。

その論理で死者もまた生きている人間にはどうにもできない(蘇らせたり、たたりを取り除けない)ので神にあてはまります。すなわちアイヌの信仰として人間は生前は神になれないが、死者になれば神になれるということです。

そしてカムイは天の一角に住んでいるとされ、カムイはなんらかの仮面をつけて現れるとされています。例えば熊の仮面をつけて現れて、熊を育て、殺すことによってカムイを熊という仮面から解放して神そのものに返すという熊送りと言う名の儀式もあります。

熊の本質は神であり、あくまでも熊は熊という仮面を被った髪の仮象に過ぎない。熊という仮面を被ったカムイを喜ばせて天に帰すことで、また熊となってこの世に現れてもらう。そういった信仰の形を取っています。

 

霊の種類

霊の中にも大きく分けて以下のように3種類あります。

①個々の霊(形態や物体と性別を決定する)

②人間に憑く霊

③集団に憑く霊

 

②と③に関してはこの中でも先天的なものと後天的なものでそれぞれ何種かあり、細かく分かれています。

中にはどんな霊がついているか公開することはどんな罪でも受け入れなければならないような霊の種類も存在します。

 

ここまでの話で霊ないし神が完全に上位の存在のように思われるかもしれませんが、なにか起こった時に「こんなことが起こるのは神としての力量不足ではないか?これはもう神として崇められないような失態ですよ。とはいえ神といえどこういうこともありますよね。今回だけは見逃します。」というように絶妙な飴と鞭を使い分けて神と論争をすることもあるそうです。

 

 

アイヌと日本の関係

結論からはっきりというとアイヌ語は原日本語であり、アイヌの神観念は日本文化の規定をなすのではないか というのがこの本の結論です。

分かりやすい例で言えばアイヌ語のカムイと日本語の神は非常に似ています。(意味が同じで音が似ている)

ということはどちらかが借用した言葉であり、従来の研究では日本文化の優位性という観点からアイヌ語のカムイが借用語であるというのが通説でした。しかしアイヌの文化が遅れているという偏見を捨てて言語学的にみると実は逆では無いかという話になるそうです。

また「そうね」の「ね」や「そうだな」の「な」のような文末につく助辞もアイヌ語と日本語はおなじような使い方がされています。

他には擬音語が多く感受性の鋭い言語という共通点もあります。もっと言えばアイヌ語は自己表現に関する言葉が多く、合理的に構成されていて自己反省・自己意識の強い文化であることがわかります。

こうした類似点においてもアイヌ文化は文字を持っておらず、未発達だとされたのですべて日本語からの借用とされていました。

しかし文字を取り入れるにしても、プラスの面とマイナス面があるわけでして。

書き残せるというのは永久に保存するようで、実は忘れることを許容するというので人の記憶からは忘れ去れてしまい、都合のいいものだけを書き残し絶対視させるという側面もあります。

アイヌは文字を持っていなかったがゆえに、口で多くの人に伝えたのでアイヌが暮らす北の樺太から南の日高の端まで皆が同じような言葉や思想が出てくるそうです。ちなみに樺太を青森に合わせると、北海道の南の端は山口県ぐらいにまでいくそうです…これだけの広さを持っていてもなお、同じような思想を有しているというのはある意味文字を持っていなかったからこそ成せることと言えるでしょう。

西洋の文書を絶対視する文化と違い、日本の「言霊」や「口約束」という思想が最も純粋に現れているとも言えるのでは無いのでしょうか。

また前述した熊送りにしても日本の稲作での豊穣祈願と考え方が全く同じです。(西洋はおろかアジア圏でも同じような考え方はない)

 

つまり

日本の文化の基層にはアイヌの文化があるのではないか? 

というお話でした

 

アイヌは決して遅れた文化を持つ存在でも、外部の存在でもなく、日本の文化や伝統を研究する上で避けては通れない存在です。

アイヌの霊の世界は1982年に出版された本であり、自分もアイヌに関する本はこれしか読めていないので間違っている点があってもご容赦を)

 

 

 結論

ゴールデンカムイを読もう!!!!!!!!!!!!

 

 

こんなブログ読むよりゴールデンカムイ読むほうが楽しいし分かりやすいよ

以上です あと尾形推しです

極上音響上映でボヘミアンラプソディーを見てきた

みなさんはもう見ましたか?ボヘミアン・ラプソディ

www.foxmovies-jp.com

 

僕は本日立川のシネマシティでの極上音響上映でボヘミアン・ラプソディを見てきました

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ちなみに見る前のQueenに関しての知識はこの程度でした

・現役のバンドだと思ってた

天文学の博士号を持ってる人がいる

・親が好きでよく流していたので曲自体は知っている

 

 

結論として一言で言えば最高でした

Queen自体をよく知らない自分でも楽しめました

ファンはファンなりに、知らない人は知らない人なりに楽しめる良い作品だと思います

極上音響は本当にライブのような臨場感で、体の底まで音が響いてくる

1500円でライブ行けると思えばめちゃ安じゃない?? 

映画じゃなくてライブを見たような感覚になれます

見てない人は是非見に行ってください 出来れば極上音響上映で

ストーリーも自分は涙腺ゆるゆるなので比喩とかじゃなくてガチ泣きしました 3回ぐらい

まさしく伝説であるフレディ・マーキュリーQueenの生き様というものを目に焼き付けて頂きたい

 

 

 

以下ネタバレ混じりの感想です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最高には違いないけど映画館というのが悔やまれる。何言ってんだこいつって感じかもしれないけど最後のライブエイドのシーンでは全員立ち上がって隣の人と肩を組みながら歌い上げるぐらいのことをしたかったし 

We Will Rock Youでズンッ ズンッ ダッ!って足踏みしたかったし

Ay-Ohって大声でレスポンスしたかったし

We Are The Championsって歌い上げたかった

とにかく一体感を全身で体感したかった

とはいえ音響が本当にすごいのは間違いない

あと個人的にはI Was Born to Love Youをこの極上音響で聞きたかった…

 

曲は知っていても歌詞の意味とかは全くだったので、ライブエイドのシーンで字幕で和訳をみて泣いたし

ライブエイドのシーンの最中もなんか感極まって泣いたし

エンドロールでフレディ・マーキュリーが亡くなった ってのを見ても泣いた

最後のほうは泣きながらノリノリになってましたね

 

ボヘミアンラプソディーってタイトルだから最後はボヘミアンラプソディーをフルで流して締めるんだろうなぁ…って思ってワクワクしながらエンドロールを見ていたのに流れなくて悲しかったです 

ガリレオ!(高音)の部分意味が分からなくて大好きなので

 

 

最後に大好きなパロディを添えておきます

 ブライアン・メイ博士リスペクトということで

www.youtube.com