徒然日記

徒然なるままに書いていきます 固めのものからゆるい日常まで書きたいものを

そもそも「文学」って、「文字」ってなんなんだ①

タイトルのような疑問を抱いて、色々調べたり文系の授業に忍び込んだりしたので一応その成果ないし途中点をここに徒然なるままにかいていきます

 

昔と今の「文学」の違い

え なんか違うの?  ということで困ったときは原点に立ち返りましょう

そもそも最古の文学作品といえば英雄譚の「ギルガメシュ叙事詩」と言われていて、その成立はなんと紀元前2600年も前とのこと

 

 

ギルガメシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩

 

 

いかに人の営みの傍らに文学というものが付いて回ってきたかを語るに十分な古さではないでしょうか

しかしこの時代の文学というのは現代の我々が想像するような文学作品と大きく異なる点がいくつも…

例えばギルガメシュ叙事詩では、先ほど成立が紀元前2600年前と言ったけれど、それはあくまでも物語の舞台となった推定年代であって、写本されたのはそれから六百年後という説が有力です

 つまり!その六百年間ギルガメシュ叙事詩は口頭伝承されてきたという事になります

今でこそ村上春樹作のナントカって言ったりするものの、実は現代のように作品を作者という特定の個人に帰属させるという観念が生まれたのはつい最近です

昔話には作者が存在しないのもそのためです

大体17世紀まではほとんどの作品と作者はつながっておらず、「文学作品」の定義も異なっていて、哲学書や科学的文献も十分入っていました

文学に疎い人でも知っているであろうシェイクスピア(1564~1616)は、全ての物語に元となった別の作品の設定があって まあ現代の酷い言い方を言えば「パクリ作家」ということになってしまいますが、今までに言ってきたように作品というものは個ではなく社会・文化全体に帰属していたものであってシェイクスピアは一番上手く仕上げられたってだけの話なんですよ 

これが現代と異なる点ひとつめ

 

もう一つは朗読か音読かということです

皆さん本を読むときはどっち派ですか?今このテキストを読んでいる時声に出してますか?

まあほぼ間違いなく黙読だと思いますけど、昔は違っていて本は全て音読でした

具体的に言えばアウグスティヌスの『告白』の中に本を黙読している人を見て「あいつ黙って本読んでるんだけど…」というようなシーンが存在します

わざわざ自身の本に書くぐらいだから余程珍しいことであったと推測できますね

昔は文学作品といっても話す外延に過ぎず、文字も録音機的な意味合いでした

つまり今のような「小説」は昔は存在せず、あったとしてもただの記録に過ぎずよくて民族固有の神話でした

 

では最古の「小説」は?

最古の文学作品は『ギルガメッシュ叙事詩』と、17世紀までは作品と作者が繋がっていなかったといいましたが、日本で誰もが知っている『源氏物語』が紫式部によって1000年前後に書かれた世界最古の長編小説です

 

 (あさきゆめみし:漫画で読む源氏物語的なの おすすめです)

 

なぜ『源氏物語』が世界最古の小説と成りえたのか

その要因の一つとしては文字があげられると思います

例えば「誤謬」という漢字 読み方はわからなくてもなんとなく意味は分かるんじゃないでしょうか  (ゴビュウ)

そして「intrigue」という英語 これは意味が分からなくてもなんとなく読み方はわかるんじゃないでしょうか (~の興味をそそる、陰謀)

前者が「表意文字」後者が「表音文字」ですね

 

いや待て、日本語の平仮名は表音文字だし漢字はもとは中国のものじゃないかと思った人がいるかもしれませんので、ここで日本の文字の歴史を辿りたいと思います

 漢字が日本に伝わってきたのは3世紀ごろで、それ以前にどんな文字が使われていたかを示す確かな証拠はありません

それ以降は漢字のみを用いて文が綴られていましたが、日本古来の発音を表現しきれないなど面も多く、『万葉集』にて漢字を表意文字ではなく表音文字として用いる借字(しゃくじ)という技法を編み出します

夜露死苦  みたいな当て字のようなものだと考えていただければ、相違ないです

次第に借字の時代が崩れていき、平仮名の原型となっていきました

そのうちに平仮名と漢字を混じらせた現代のような表記体系が出来上がっていったようです

日本語は世界で唯一の表意文字表音文字を合わせた表記体系を持った言語なのです 

 

 で、源氏物語の話に戻ると残念ながら源氏物語の原本は残っていないので、紫式部が漢字だけか、平仮名だけか、両方を織り交ぜて書いたかはわかりません

でもここで大事なのは、平仮名という表音文字と漢字という表意文字を同時に使えるという事じゃないでしょうか

話し言葉を記録するための表音文字と、何かを伝えるための表意文字 その二つの体系を有していたことで「小説」という新たな文字の可能性を獲得した 

そんな風な凄いふわふわした推測ですけど

 

そして小説というものが誕生して現代が考えるような「文学作品」がうまれていきます

先ほども述べたように小説が誕生する以前は、口頭での話を文字に起こしただけに過ぎなかった「文学作品」がガラパゴス的に進化していったものといえるでしょう

所謂文語体と口語体なんていう区別が生まれたのも小説が誕生してからなんじゃないでしょうか?

 

「文学」の意義

ここまで辛抱して読んでくださった方の中でもしかしたら「言うても文学なんて事実書くだけか妄想書きなぐってるだけでしょ?あほくさ」とか思ってる輩がいるかもしれません

それは大きな誤解と言わざるを得ないので是非考えを改めていただきたい

 

科学の最先端であろう宇宙開発においてロケットが開発された契機の一つは小説、SF小説です

SF小説の始祖であるジュール・ベルヌは1865年に『地球から月へ』を出版し、宇宙開発の父と呼ばれている三人のツィオルコフスキーゴダード・オーベルトに影響を与え、民衆にも広く愛されたことで「人類が月に行く」というアイデアを広く萌芽させました

もし仮にベルヌが『地球から月へ』を出版することなく、いや「文学」というもの自体がなかったら?

人々は月に行くということが可能不可能ではなく、想像することすら出来ず、人類は未だに地の上を這いつくばっていたでしょう

ベルヌが自身の想像を「小説」という形をとって人々に共有したことで、アポロ時代到来の可能性を与えたといえるでしょう

 もっと身近に言えば日本の技術者はドラえもんガンダムに影響されたことで、人型ロボットや二足歩行ロボットに傾倒し過ぎている なんて皮肉もあるそうで

技術と文学なんてのは遠く離れたもののように思えるかもしれませんが、根底においては緊密に絡み合っていて、優劣も貴賎もありません

 

なにも科学的な想像性に限りません

シェイクスピアの『リア王』は例え王であろうと選択を誤れば悲劇の淵に立たされることを、カフカの『変身』は人々の社会性の危うさを示しています

 優れた文学作品は自身にもし同じようなことが起きたら?と想像させ人々の行動になにがしかの影響を与えます

 

つまり「小説」は人類に想像性を共有させ、次の歴史の着地点への志向性を示し、そして時代の下地となっていくものと言えるでしょう

 

じゃあ人々に想像性を共有しないと思われる純文学や詩は?

 純文学や詩に通っているもの それは「美」だと思います

 三島の美に関する文や、バイロンの美に関する詩はその文そのものが「美しさ」をもっています

それらは言語という枠組みのなかでいかに現象を、思想を美しく叙述するかという人間の営みの到達点であり、次の時代への結節点です

かつてはなかったレトリックがこういった「文学作品」のなかで生まれていき、それがその時代を生きていた人々にとって優れているものであれば浸透し言語の一端を担うことになります

 すなわち「純文学」や「詩」は言語にまつわる技巧的挑戦であり、その時代に生きた人々の価値観を反映し、もっとも洗練された言葉の到達点といえるでしょう

 

ということで「文学」のまとめ

  • 「小説」は想像性を人々に広く共有し、歴史的指向性を与え、次の歴史の下地となる
  • 「純文学」や「詩」は言葉にまつわる技術の変遷が作り上げてきた結晶であり、人間と言葉との関係を最も凝縮した形で示したもの

って言えるんじゃないでしょうか 「文学」は人類に欠かせないものです

 

 

 本当は「文字」についても書こうと思ってたんですけど既に大分長くなっちゃったのでまた別で