日本がやばい なんてったって借金がやばい
財政危機だー なんて騒がれていたギリシャですら国債残高がGDP比で181%なのに日本は236%も借金がある!
日本国民一人当たり700万円も借金があるらしい…
しかも借金は増え続けている!!!
(出典 :http://ecodb.net/ranking/imf_ggxwdg_ngdp.html)
このままでは財政破綻してしまう!
なんて思っている方々多いかもしれません。自分もそうでした。
けど貨幣論を学べばそういう訳ではない って分かります
経済学素人なので細かい点で間違ってるかもしれないけど御容赦を
何かあったらコメント等で指摘して頂けるとありがたいです
ちなみにMMTはModern Monetary Theoryの略なのですが、日本語に訳す際に現代貨幣理論ではなく現代金融理論と言う場合もあるらしいです。
1.貨幣の定義
物事を語る上で定義は大事
貨幣の定義は三つの機能を有していること
「価値尺度機能」「価値貯蔵機能」「交換機能」
どれも読んで字のごとくですが、一つずつ説明して行くと
「価値尺度機能」…財やサービスを貨幣という尺度で測定できるようにすること
例:りんごは一個100円 メロンは一個300円
のように相対的に価値を表せるようになれる
「価値貯蔵機能」…価値を一定の値で保ち貯蔵できるようにすること
例:りんごだといつか腐ってしまい価値はなくなる しかし一万円札はいつまでも一万円という価値を保有し続ける
「交換機能」…財やサービスと等価な貨幣さえ支払えばそれを手に入れられるようにすること
例:100円払えばりんごを一個もらえる
価値尺度機能と一見同じだが、手に入れられるという点が重要
2.貨幣の起源
貨幣の起源を問われればおそらくほとんどの人は以下のようなストーリーを語ると思います。
① Aは米農家であり収穫の時期(秋)になれば大量のコメが手に入るがそれ以外の時期は豚を必要としている
② Bは豚を飼っているが米が食べたいわけではない
③ AはBと物々交換をしたいが米では取引できない
④ AはBに誰もが欲しがるもの(金属など)を渡すことで取引をする
⑤ そのうちに金属が交換手段の主流となり貨幣となる
この説は人口に膾炙していて経済学の大家ともいえるアダム・スミスもこの説を支持していました。
しかし最近の貨幣論 だけでなく文化人類学的に見てもこれは間違いという説が強まっています。この説に出てくる物々交換で成り立っているような社会の証拠は一切見つかっていません。では貨幣はどこからうまれたのか?
先の物々交換の例に倣って言えば
①' Aは米農家であり収穫の時期(秋)になれば大量のコメが手に入るがそれ以外の時期は豚を必要としている
②' Bは豚を飼っているが米が食べたいわけではない
③' AはBと物々交換をしたいが米では取引できない
④' AはBから「信用」を担保に豚をもらい、代わりにBに「負債」を背負ったことを示す書面などを渡す
この例でいえばAは取引を望んでいる段階では米すら持っていないことになり、物々交換においては時間差が起こることも常です。米が収穫出来たら「負債」を解消する能力が手に入るという「信用」
つまり貨幣の最古の形態は「負債」
一万円は一万円相当の「負債」を背負っていることの証明書に過ぎないのです。
そしてこの「負債」はAとBの間だけでなくCやDとの「負債」と相互に比較して、取引するための共通の表示単位が通貨となる
すなわちは円やドルといった通貨は共通の計算単位で表示された「負債」ということになります。
3.貨幣の発展と本質
先ほど述べた貨幣の起源に基づく移り変わってきた2つの貨幣論を説明していきましょう
3-1 商品貨幣論(金属主義)
これは一つ目の物々交換(証拠は見つかっていないが正しいと信じられている)を起源とした貨幣観です
物々交換において金属を貨幣として用いる理由は①持ち運びやすい②腐らない などの理由ですが最も大事な点は、金属が交換を促進させるべく選ばれた一つの商品で、米や豚などの価値を測定されるにすぎないということです。
つまり貨幣の価値はそれと等価の金属を得られるということによって裏付けられていることになります。
貨幣は金属と交換できるから価値がある
金本位制 なんて言葉を聞いたらピンとくる人がいるかもしれないですね
その昔、1970年代ぐらいまでは1ドルで金なんとかgと交換 のようにドルの価値は金によって裏打ちされていました
しかし経済規模が大きくなるにつれて金の埋蔵量と市場に流通しているドルの量が調整できなくなり金本位制は崩壊します
つまり金本位制の崩壊とともにこの貨幣観は崩壊して次の貨幣観に移り変わるはず…なのですが根強く生き残っている貨幣観です
3-2 信用貨幣論
これは二つ目の(本当は正しい方)物々交換の話の立場であり、金本位制度崩壊以降の経済を説明できる貨幣観です。はっきりと言ってしまえば貨幣自体には価値がない というものです。「負債」と「信用」の対概念の取引証書こそが貨幣であり、人々が貨幣を貨幣として信じるから成り立つという立場をとります。
貨幣の起源に引き続き、この考えを説明するのに便利なよくある誤解の1つとして銀行の働きに関するものがあります。
例えばある会社が物体Xを作って儲けたいから5000万円貸してくれ と言ったときに銀行はどこから金を出しているのか。
よくある誤解は我々が預金しているお金の中からというものです。
要するに銀行は我々のお金を預かる代わりに融資などで運用して利子を得て稼いでいるという誤解ですね。
本当はどこからも金を出していません。
頭を混乱させたら申し訳ないですが、こうとしか言いようがないのです。銀行マンが小切手に5000万 と書いたらそれが5000万となるのです。
信用貨幣論に基づいて丁寧に説明していくと「負債」は「信用」と対概念であり、人々が「貨幣」として信じるからこそ「貨幣」として機能する
銀行マンは金を貸す際に相手が金を返してくれるという「信用」に基づいてそれ相応の「負債」を渡しているだけなんですよ
無 から5000万が生まれるわけではなくて
5000万返せるという「信用」(見かけ上は無)からその「信用」に応じて5000万円という「信用」と「負債」の取引証書を貸す
おそらく今の話で頭が混乱した人は商品貨幣論に従っていて、貨幣自体に価値がある と思い込んでしまっているからでしょう。
この話で大事な点は資金の貸し出しは貸し手の資金量によってではなく、借り手の返済能力によって制限される ということです。
実際イングランド銀行はいち早くこの考えに立ち、資金量に制限されることなく企業に大規模かつ長期の資金を提供できたことが、産業革命を起こせた一因となっています。
信用貨幣論において一枚の金貨とは一枚の金貨と等価値な何かを支払うという約束に過ぎず、それ自体には価値がないということです。
即ち貨幣の価値とは、ある対象物の価値の尺度ではなく、人が別の人のよせる信頼の尺度 ということになります。
いわば貨幣は価値の媒介者であり、価値の媒介者として市場に流通することのただ一点において意義があるということです。
即ち貨幣が貨幣足りえる所以は人々がそれを貨幣だと信じているから とさえ言えてしまいます。
そして面白い点はもし貨幣の持つ支払うという約束を履行して、「負債」と「信用」の関係を全て打ち消しあえば我々の経済活動はすべてなくなります。
世界に流通している「負債」と「信用」の取引証明書は永遠に履行されることはないでしょう。
話を戻すと、じゃあどうして人々は貨幣を貨幣として信頼しているんだ??という疑問が起こると思います。
その結論は徴税権を有する国家権力
貨幣が自分に課せられた納税義務を解消してくれる。そして納税義務を解消してくれるという価値があるものなので、日常的に用いるようになる。つまり国家が貨幣を租税の対象として徴税することによって現代貨幣は間接的に国家によって価値を裏付けられていると言えるでしょう。国家が貨幣を発行すること によってではなく 国家が貨幣を受領すること によって裏付けられているのが肝です。
これを国定信用貨幣論といい、現代の貨幣論のなかでは主流派と言える理論です。
貨幣そのものには価値がないけれど人々は貨幣に価値があるように思い込んでいる
その理由は頭にのしかかる税を解消できる機能があるから
過去日本において米が租税の対象とされていた頃にはこんな風刺絵が描かれていたように、米と政府紙幣のどちらが貨幣の役割を果たすかが分からなくなっていたようです。
(下図は米と紙幣のどちらが人々に用いられているかを競い合っている風刺絵)
そしてこれに従うと驚くべき帰結が得られます。
徴税権を有する国家は自身が発行する貨幣を流通させなければならない。
国家が貨幣を流通させる量=財政支出
貨幣の価値を裏付けるために市場から徴税する量=財政収入
が市場の貨幣を流通させ続けるためには財政支出が財政収入を上回っていなければならない
すなわち 現代貨幣論に基づけば直観とは真逆の結論が得られます
財政赤字は異常どころか正常な事態であり、税によって徴収する以上の貨幣を流通させる必要がある
では増税はなんのために行うのか?
それは財源を確保するためではなくて、貨幣流通量が多すぎるときに適度に市場から貨幣を取り上げるために他なりません。
無理な財政健全化は貨幣を市場から過剰に取り上げる行為とすら言えるでしょう。
4.日本の現状
あれ?これまでの話に従えば財政赤字は問題じゃないはず?
でもギリシャは財政危機に陥ったじゃないか!と思っている方もいる事でしょう
原因は国民性や過剰な公務員優遇など様々なものがありますが、貨幣論に絡めて言うなら
ギリシャの国債が自国通貨建国債ではなかったから と言うことになります。
知っての通りギリシャはEUに加盟しており、使われている通貨はユーロ
そしてギリシャはユーロを使っているにも関わらず、ユーロを発行する権限を持てていないのです
日本の国債が莫大なものになろうとも、いざとなれば日銀が国債を大量に買い取れば国債問題は解消されます(それはそれで別の問題が生じるけど後述)
しかしギリシャはユーロの発行権を持てていないので、国債を発行して財源を確保しようとすると他国に必ず返す必要が出てきてしまい返せなくなったら財政破綻を選ぶしかなくなる
詳しくは以下のサイトを参考に
ギリシア問題は通貨統合のワナ - ネコでもわかる経済問題・総合
そして先ほど銀行での融資の例で述べたようにお金の貸し出しは「貸し出す側の資金量」ではなく「借り手の返済能力」によって制限されることになります。
ではこれを国に当てはめたらどうなるのか
国債発行の限界は「日本の資金量」ではなく「日本政府の返済能力」によって制限される。
…でも日本政府は日本円の発行権を持っているので極端な話返済能力は無限大ですね。
そんなん無敵やん。ラスボスが自分に回復魔法かけ放題みたいなもんやん。
つまり国債が自国通貨建である限り理論上財政破綻というのは有り得ない ということです。
そして日本の国債保有者内訳を見ていただければギリシャと日本の状況は似て非なるものという事が明らかだとわかります。
(出典:https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/breakdown.pdf)
そして日銀が国債を買いまくるという解決法に話を戻すと
結論から言えば確かにそれは可能と言えます。しかしその場合は一番恐れるべきハイパーインフレに突入してしまいます。ハイパーインフレとはインフレの超極端やつ そのままですね。
インフレとは簡単に言えば物価が上がり続け、その逆に物価が下がり続けることをデフレ という
この裏を返せばインフレにおいては貨幣価値が下落し、デフレにおいては貨幣価値が上昇するということになります。
経済成長は緩やかなインフレ状態と言えて、適度に市場の貨幣の量を増やすことが大事です。
ハイパーインフレの分かりやすい例で言えばジンバブエドルは2009年に年間インフレ率2億3000万%を達成し紙幣は文字通り紙屑となってしまいました。
(100円だったリンゴが翌年には230億円になった と言えばその異常さが伝わるだろうか)
この状態になると誰も貨幣を信用しなくなり、市場は崩壊することになります。
さっきの回復魔法使い放題のラスボスで言えば、回復魔法使い過ぎると肉体が暴走して自壊するみたいな そんな感じ。
ではその逆のデフレはどうなるか
①景気が悪い
②景気が悪いから物が買えない
③物が売れないから給料が下がる
④消費をしないので現代の世代が貧困化する
⑤投資できない(余裕がない)ので未来の世代も貧困化する
これがループしてデフレスパイラル という言葉が示しているように手を打たない限り、より酷いものとなりつつ続きます。
そして日本は現在「失われた20年」と言われるほどに経済状況は停滞、衰退しています。
手を打つ というのは具体的に言えば国債を発行して公共事業によって貨幣流通量を増やすことや、税率を下げ市場を活発化させるとか になりますが実情は
国債の増大を理由に財政健全化を目標に据えて、財源確保のために税率を上げようとしています。
曲がりなりにも貨幣論をかじった身から言わせてもらえば、というかこの記事を辛抱強く読んでくれた方々なら異常性が分かるはずです。
(デフレに陥ると貨幣価値が相対的に上昇するからもはやすでに金をしこたま貯めこんだお偉い方々がわざとデフレに陥らせてるんじゃないか?って勘繰りたくなるぐらい異常)
そんな状況に陥っている今だからこそ、そもそも貨幣とはなんなのか?というあまりにも根本的で気が付かない、しかし経済を考える上では大事な問いについて長々と語らせていただきました。お粗末様でした。
5.まとめ
・貨幣は価値の媒介者であり、価値の媒介者として市場に流通することのただ一点において意義がある
・現代貨幣は「信用」によって成り立っており、本質は「負債」との取引証書
・現代貨幣の「信用」は徴税権を有する国家によって裏付けられている
・貸し手の資金源ではなく借り手返済能力によって借りられるお金は決まる
・貨幣発行権をもつ国家は理論上いくらでもお金を借りられる(国債に発行上限はない)
・デフレは現代と未来を衰退させる恐ろしいもので脱却する必要がある
・日本の経済政策は貨幣論を無視しているものと言わざるを得ない
現代貨幣理論が流行ってるらしいので書いた追記記事です。
6.参考文献