徒然日記

徒然なるままに書いていきます 固めのものからゆるい日常まで書きたいものを

ロボットは自分を認識出来るのか?

先日凄い不思議な夢を見て、要点をかいつまむと

ドラえもんが鏡を見て首を傾げていたのに対して、のび太が「君しか映ってないじゃないか」と言ってもドラえもんは「これが僕?」とか言ってるみたいな夢

ドラえもん 鏡 で検索したら出てきた画像)

 

なんでこんな夢を見たのかは分からないけれども、突き詰めて考えてみると結構面白いかもしれない

 

ドラえもん 要するにロボットは自己認識を出来るのか?っていうタイトルに戻るわけだけれど、今のロボットはまず間違いなく出来ない 

と思ってたんだけど検索したらできているらしい

鏡に映る自分を見て自己認識するロボット「QBO」がスゴイ!!これこそ自我の芽生えか!? | コモンポストムービー

 

じゃあ出来ますね で終わっては何の意味もないのでもう少しロボットと人間について掘り下げさせてください

(人工知能だとか色々ひっくるめて分かりやすさ優先で全部ロボット という単語でいこうと思います)

自己認識…言うに及ばず自分を自分として認識するということ

じゃあ「自分」とは? 自分を同一な存在として規定し続けている自己同一性とは?

 

それはロボットを作り出す側の人間自身も自分の自己同一性というものをよく定義出来ていないから当たり前の話だけれども

 

とある授業で聞いた面白い自己認識に関する古典を思い出した

ギリシア神話に登場するナルキッソスは色々やらかして神の怒りを買い自分を認識できなくなってしまい美貌の持ち主だったナルキッソスは水面に映った自分の姿に恋をして最終的には水面から離れることなく命を落とし黄色い水仙へと姿を変えます。現代の「ナルシスト」という言葉の原型とされている物語であり、水仙花言葉(自惚れ、自己愛)の由来でもあるお話です。

 

これはあくまでも神話かもしれないけど、アルツハイマー病や認知症などは「自己」が崩壊していく症例としてよく知られている通りで現実に起こり得ること

 

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

 

(医学的に「自己の淵」を説明した1冊 おすすめ)

 

 

話をロボットに戻すとこれだけ自己認識の話をしておきながらなんだけど、ロボットにとって重要なのは自我同一性という概念を有するよりも他者の同一性を認識出来ることなんじゃないかと思いました

 

他者の同一性ってなんなのか

例えばある日「僕」が髪を金髪に染めたらこれを読んでいる人たちは「金髪になった僕」を「僕」として認識してくれるのか?

あるいは事故にあって植物状態になって一言も話せなくなったら?

攻殻機動隊の少佐のように全身義体化して全く別人の肉体になったら?

どこまでいったら皆は「僕」を「僕」とみなさなくなるのか

 

ここでスケールダウンするけれど面白い例を1つ

ロンドン警視庁はロボットを用いて、児童ポルノ児童虐待の画像を検出しようとしたらしいんだけれどもなんとロボットには砂漠と児童ポルノの画像の区別がつかないらしい…

news.livedoor.com

 

確かになんとなく砂は肌色っぽいから理屈的には分からなくも無い気がするけれど、僕ら人間からしたらバカだなぁって話になる

 

そもそもロボットの認識、画像認識技術に話を絞るとどうやっているのか?どうして砂漠と児童ポルノの区別がつかないのか?

 

従来の画像認識だと各データから抽出された特徴を人間が分類してやることを繰り返すことで特徴を覚えこませていくというもの。

そして今流行りのdeep learningは多層のネットワークがうんちゃらかんちゃらして勝手に特徴抽出、分類してくれるらしい(勉強不足でよくわかってない)

 じゃあdeep learning使いまくれば解決する話、時間の問題でしかないのか?

 

 人間側に話を戻すと、人間は言語を習得する過程では定義を教えられているわけではなくて

犬はネコ目(食肉目)- イヌ科- イヌ属に分類される哺乳類の一種である。なんて教えられるんじゃなくて幼児と親の「あれは何?」「あれは犬だよ」みたいな会話を経て犬という概念を始めて得られる。

その後に猫をみて「あれも犬?」「いやあれは猫という動物だよ」みたいな会話プロセスを経て、犬と猫の差異を把握していってようやく今自分たちのように猫と犬を区別出来るようになっていく

この例で言いたいのは人間は物事を何か特定の要素を認識して名前付けしているというよりは、物事の間の差異によって名前付けし判別していっているということ。(ソシュールの差異の体系 で検索するともうすこし詳しい説明がある)

 

言語学的な観点から見たシンギュラリティというのは、ロボットが現象や物に対して名前付けを出来たとき

と言えるのかもしれない

もっと言えば人間ですら出来ていない「差異による識別」ではなく「本質的要素による識別」を達成する日がくるかも? 

 

 これは言語に限った話ではなく「自己」に関しても言える気がしてならない

「自己」は自分のなかにあるものではなくて、他者との差異や関係性の中に潜んでいる

 とまで言い切ってしまえば、よくあるスワンプマン問題なども容易く氷解する

 

つまり人間とロボットの境目に関する話をするとチューリングテストが出てくるが

これは人間側がロボットと人間を識別できるかどうかの話であって、本当にロボットが人間に近づいたかを確かめるなら逆チューリングテスト

要するにロボットが複数の人間と接して、それぞれを見分けられるか

というのも大事な気がする

 

つまり他者を認知して他者を規定することが「自己」を獲得するうえでは必要なプロセスなように思われる

 

でその他者を識別して、「自己」を意識するうえで重要なのが「身体性」だと思うんですよ

人間は現状生きている間同じ肉袋のなかに意識を閉じ込めて、それを「自己」と言っているけれどもし肉体を容易にとっかえひっかえできるようになったらどうなるのか?

ハリウッド版の攻殻機動隊では少佐がアイデンティティについて悩んでいましたね

prime video で見れるのでみんなみて

 

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 それはそうとこれを書いていて貨幣論と似ているなってすごく思いました

cobaltic.hatenablog.com

 貨幣が貨幣たりえる所以は人々が貨幣だと信じているから

と同様に

「僕」が「僕」たりえる所以は人々が「僕」だとして扱っているから

 

そして貨幣の信用の依り代が国家であるように、「自己」の依り代は「身体性」

 学問に垣根なんてないし、ある程度相似性があるもんですね

 

一通り書きたいもの書いたので 結論というかなんというか

個人的にはロボットを作る過程や、ロボットの行動によって人間を知る という方が興味あります

もっと言えば将来的に攻殻機動隊のような世界が実現して「自己」の依り代である「身体性」が捨象されたとき人間がどうなるかが知りたいですね

それまで生きていられるかどうか