人間はホモ・サピエンスからホモ・デウス(神のヒト)へと自身をアップデートする 。
こんな魅力的な煽り文が添えられているのが今回読んだ『ホモ・デウス』
やっぱハラリはいい本を書くなぁ
著者ユヴァル・ノア・ハラリは前作サピエンス全史の時に知ってその内容にすっかり虜になってしまった
とはいえサピエンス全史から2年経っての発売…正直自分の中には「サピエンス全史がバカ売れしたから味を占めてちょろっと書いただけなんちゃう?薄っぺらい続編になるぐらいなら出さないでくれよ」なんて下衆の勘繰りを少しだけしてしまっていたんだけど、今回も大いに満足できた。
サピエンス全史もホモ・デウスも平易な文体ながら幅広い知識の層から織り成される内容には認識を新たにされる。
日本語版は上下巻に分かれていて、サピエンス全史を読んだ人で時間がないなら上巻は読まなくても良いといえば良い気がする
単なる要約文になっても仕方ないので(そもそも要約しきれないし)自分が特に引っかかった部分を1つだけ取り上げて掘り下げていきたい
虚構、人間、データ それぞれの至上主義
・虚構至上主義
元はただの猿に過ぎなかったホモ・サピエンスがどうして現在の人類のような立ち位置を獲得できたのか?その答えは人間が虚構を持てるからだ。集団が協力して力を発揮するために平滑な人間関係を維持できる最大の人数は150人と分かっている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ダンバー数)
では人類は150人の共同体で今の社会を築いたか?誰でも違うと分かる。人々は共同の虚構を信仰することで見ず知らずの人間であろうとも協力することができる。聖書やコーランは人々に共通の倫理観を与え、国家が人々に共同体意識を与え、貨幣のお陰で見ず知らずの人とも経済活動が行える。これらは全て人間自身が作りあげた虚構に過ぎないが、そのお陰で人類は総体として種として進化する事が出来た。
・人間至上主義
過去数世紀の間に台頭してきた価値観。そして現代の価値観でもある。虚構至上主義においては人々の判断の基準は聖書やコーランであった。
人々はまず自分の心の声を聞こうとする。聖書やコーランは開かない。
経済や芸術、教育……ありとあらゆる領域で人間至上主義の影響を受けている。
・データ至上主義
今現在片足を突っ込みかけている価値観。
人間は単なるアルゴリズムに過ぎないという考え。人々は自分で行動を自由に決定しているという幻想が生命科学によって破壊された。人が左右どちらかのスイッチを押すときに、スイッチを押す決定を下す数100ミリ秒前から脳内の神経活動は始まっている。右のスイッチを押したいと望んだのではなくて、ランダムか決定論的かは分からないが神経活動によって押したいという欲望を感じた結果に従って行動しているに過ぎない。
生き物は遺伝子と環境圧によって形成されるアルゴリズムに過ぎず、単一の内なる声や自己などは存在しない。
これからは1%の富裕層と9%の知能者と90%の消費者という社会構造にシフトしていくのかもしれない。90%の消費者はデータを提供し続ける…どこに行くのか、何を買うのか、体形はどうなっているか そして9%の知能労働者がそれらをマクロなデータとして分析して、1%の富裕層はさらに富める者となっていく。もっと言ってしまえば消費者にすらなれない存在も出てきてしまうかも。人権なんてものも結局は社会全体の協力が不可欠であった時代に構成された概念に過ぎないので代替不可能なものではない。
昔見た番組で「人間は自身を理解するためにロボットを作ります。それと同様に神は自身を理解するためにアルゴリズムとして宇宙を作りました。」その時は全然何言ってるか分からなかったけど、データ至上主義という観点から見ると理解できる。
下部構造が上部構造へとシフトし駆逐していく。その先に本当に神がいるのかは分からないけれど。
その過程で人類が単なるアルゴリズムに成り下がることを見過ごすべきなのか、人類はきちんと自分たちの将来について考えないと取り返しがつかないことになってしまうのではないか?そんな疑問を投げかけて考える材料も与えてくれいる本です。
とにかくホモ・デウスもサピエンス全史も自信をもってお勧めできる本ですので是非どうぞ。