徒然日記

徒然なるままに書いていきます 固めのものからゆるい日常まで書きたいものを

『花束みたいな恋をした』はしゃらくせぇ映画じゃない

しゃらくせぇ映画。これが見る前の予感でした。 

主演が菅田将暉有村架純?タイトルが『花束みたいな恋をした』?

しゃらくせぇ。間違いない。

 

これは作中で言うところの「実写映画を増やす原因になっている人々」向けの映画だと思っていたので見ていなかった。

 

なのに何で見たか?

見た友達からこれを見て何を感じるか知りたいというブロガーとしては嬉しい御指名があったので、見に行ってきました。

 

見た前提で書くんで、まだ見てない人は見てから読むことをオススメします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと好きなタイプの映画でした。

 

見る前こそしゃらくせぇ人たちをモチーフにした作品だと思ってたけど、サブカルに詳しい二人組(Twitterでフォローして好き勝手してるのを見たいような人々)でちょくちょく知ってる作家とか作品が出てくると嬉しいですね。

あの歳であそこまで広く抑えることは出来るのかと思ったりしましたけど、ご愛嬌でしょう。

 

ラストのファミレスのシーンで、これもしかして結局結婚するパターンか?って思ってたんですけどちゃんと別れてくれたので好きな終わり方です。作品としては。

現実であった話だったら何で〜って絶対言っちゃう気がしますけど。

 

一番はタイトルが好き。解釈が合ってるのか分からないけど、巧いタイトルだなぁって思いました。

『花束みたいな恋をした』というタイトルは一見素敵な人に出会ってハッピーハッピー✌️みたいな意味合いだと思ってたけど、違ってましたね。

 

序盤の偶然の一致とか演出がオーバーじゃないか?ってちょっと不満に思ってたけど、それもこれもタイトルで宣言してますもの。「花束みたいな恋」だと。

花束のように綺麗に飾られた恋だから脚色されたような話で当然ですし、「恋をした」というように過去完了の話であって、花束として機能しなくなったらお互い次の花束を探しに行くし。

タイトルを踏まえれば徹頭徹尾、麦くんと絹ちゃんの花束みたいな恋が枯れるまでを描いてる作品なんだって思うと納得出来ました。

 

 

あとは中盤からのすれ違いも何でだろう?って考えてみると簡単に言えば2人の考え方が違う。

 

作中で絹ちゃんが麦くんに「最近じゃあが多いんだよ」って言ってたのを拝借すると、

麦くんは「じゃあ」の論理で、絹ちゃんは「だけど」の論理なのかと

 

麦くんは

イラストレーターとして生きていけないなら、じゃあ就職しようだし

恋人としては上手くいかないなら、じゃあ結婚しよう

 

絹ちゃんは

資格とって事務の仕事に就職できた、だけどやりたいことじゃないから転職しよう

結婚して家族としてなら上手くいくかもしれない、だけど別れよう

 

一言で言うと現実主義と理想主義なのかもしれない。

それもイラストレーターを目指してた麦くん側が、理想を現実に打ちのめされて、現実主義になってしまっていると思うと少し悲しい気がする。

麦くんからしたら絹ちゃんが理想主義でいられるのは、そういう本気で打ち込んだ経験がないから(=仕事を舐めてる)のように見えてしまっていたのかと。

 

でも、そうやって違っていた二人が寄り添っていた様も、ある意味では花束のようって意味でタイトル通りだなって思うわけです。

 

この映画を見ながら自分はどっちかな〜って考えて恋人と話し合うのもいいかもなぁって思う一方で、終わり方が終わり方だし一緒には見ない方が良いのかという思い半々です。自分は一人で見に行ったからこのブログに書くことになってますけど。

 

とりあえず帰りに作中で度々言及されてた今村夏子の『ピクニック』が収録されてる『こちらあみ子』を買いました。

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まだ自分は「今村夏子の『ピクニック』を読んで何も感じない人間」になっていないでしょうか。