二か月ほど前に行ってきた八王子古本まつりでアイヌの霊の世界 という本に出合いました。
当時ゴールデンカムイにハマっていたので即購入
amazonで調べたら1000円近くしていたけれど、300円でgetできまして
八王子古本まつりはGWらへんと10月に年2回開催されているので本が好きな方はぜひ行ってみてください。
で、話を戻すとこの本結構面白かったので紹介したいと思います。
この本はアイヌの「信仰」をメインに描いていて、大まかに分けて
1.アイヌの霊の世界
2.アイヌ・霊・古代日本(シンポジウム)
3. アイヌー日本文化の基層(対談)
の3部構成になっております。どれも口語体で書かれているので非常に読みやすく全体でも200Pないのでお手軽に読めました。
ゴールデンカムイを読んだ人なら楽しめるはず。
というわけで簡単に面白かった部分を紹介
の前にアイヌってそもそもなんやねん?って人のためにWikipediaから概要を引っ張っておきます。
アイヌとは
アイヌは、北海道を主な居住圏とする先住民であり、独自の文化を有する民族である。かつては北海道だけでなく北は樺太、東は千島列島全域、南は本州北端にまたがる地域に居住していた。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。母語はアイヌ語。
アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが、生業から得られる毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。
1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。
(Wikipediaより)
アイヌの信仰の骨子
そもそもアイヌ文化を支える信仰とはどういうものなのか
基本的にはアミニズムに近くて万物に対して「霊」の存在を認めていますが、さらにその中で神(アイヌ語でカムイ)という格上の存在があります。
具体的に言うと机や石など人間がどうにか出来ちゃうものには神として認められず、ヒグマや炎など人間が太刀打ちできないものに対して神というものを認めています。
その論理で死者もまた生きている人間にはどうにもできない(蘇らせたり、たたりを取り除けない)ので神にあてはまります。すなわちアイヌの信仰として人間は生前は神になれないが、死者になれば神になれるということです。
そしてカムイは天の一角に住んでいるとされ、カムイはなんらかの仮面をつけて現れるとされています。例えば熊の仮面をつけて現れて、熊を育て、殺すことによってカムイを熊という仮面から解放して神そのものに返すという熊送りと言う名の儀式もあります。
熊の本質は神であり、あくまでも熊は熊という仮面を被った髪の仮象に過ぎない。熊という仮面を被ったカムイを喜ばせて天に帰すことで、また熊となってこの世に現れてもらう。そういった信仰の形を取っています。
霊の種類
霊の中にも大きく分けて以下のように3種類あります。
①個々の霊(形態や物体と性別を決定する)
②人間に憑く霊
③集団に憑く霊
②と③に関してはこの中でも先天的なものと後天的なものでそれぞれ何種かあり、細かく分かれています。
中にはどんな霊がついているか公開することはどんな罪でも受け入れなければならないような霊の種類も存在します。
ここまでの話で霊ないし神が完全に上位の存在のように思われるかもしれませんが、なにか起こった時に「こんなことが起こるのは神としての力量不足ではないか?これはもう神として崇められないような失態ですよ。とはいえ神といえどこういうこともありますよね。今回だけは見逃します。」というように絶妙な飴と鞭を使い分けて神と論争をすることもあるそうです。
アイヌと日本の関係
結論からはっきりというとアイヌ語は原日本語であり、アイヌの神観念は日本文化の規定をなすのではないか というのがこの本の結論です。
分かりやすい例で言えばアイヌ語のカムイと日本語の神は非常に似ています。(意味が同じで音が似ている)
ということはどちらかが借用した言葉であり、従来の研究では日本文化の優位性という観点からアイヌ語のカムイが借用語であるというのが通説でした。しかしアイヌの文化が遅れているという偏見を捨てて言語学的にみると実は逆では無いかという話になるそうです。
また「そうね」の「ね」や「そうだな」の「な」のような文末につく助辞もアイヌ語と日本語はおなじような使い方がされています。
他には擬音語が多く感受性の鋭い言語という共通点もあります。もっと言えばアイヌ語は自己表現に関する言葉が多く、合理的に構成されていて自己反省・自己意識の強い文化であることがわかります。
こうした類似点においてもアイヌ文化は文字を持っておらず、未発達だとされたのですべて日本語からの借用とされていました。
しかし文字を取り入れるにしても、プラスの面とマイナス面があるわけでして。
書き残せるというのは永久に保存するようで、実は忘れることを許容するというので人の記憶からは忘れ去れてしまい、都合のいいものだけを書き残し絶対視させるという側面もあります。
アイヌは文字を持っていなかったがゆえに、口で多くの人に伝えたのでアイヌが暮らす北の樺太から南の日高の端まで皆が同じような言葉や思想が出てくるそうです。ちなみに樺太を青森に合わせると、北海道の南の端は山口県ぐらいにまでいくそうです…これだけの広さを持っていてもなお、同じような思想を有しているというのはある意味文字を持っていなかったからこそ成せることと言えるでしょう。
西洋の文書を絶対視する文化と違い、日本の「言霊」や「口約束」という思想が最も純粋に現れているとも言えるのでは無いのでしょうか。
また前述した熊送りにしても日本の稲作での豊穣祈願と考え方が全く同じです。(西洋はおろかアジア圏でも同じような考え方はない)
つまり
日本の文化の基層にはアイヌの文化があるのではないか?
というお話でした
アイヌは決して遅れた文化を持つ存在でも、外部の存在でもなく、日本の文化や伝統を研究する上で避けては通れない存在です。
(アイヌの霊の世界は1982年に出版された本であり、自分もアイヌに関する本はこれしか読めていないので間違っている点があってもご容赦を)
結論
ゴールデンカムイを読もう!!!!!!!!!!!!
こんなブログ読むよりゴールデンカムイ読むほうが楽しいし分かりやすいよ
以上です あと尾形推しです